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“おやじ”の背中を乗り越えて──鶴岡の有機栽培農家・鈴木孝征さんに聞く

山形県・鶴岡市では、さまざまな農家さんが日夜こだわりの米を育てています。そのなかでも、藤島地区で20年以上にわたりJAS有機栽培米に取り組んでいる鈴木農産企画の「おやじの米」は、出色の存在として知られています。

鈴木さんはなぜ長年にわたり有機農業にこだわっているのか、「おやじの米」はどのように作られているのか、そもそも「おやじ」とはどんな人なのか。田植えの準備をしている4月上旬、鈴木農産企画の鈴木孝征(すずき・たかゆき)さんにお話をうかがいました。

「おやじの米」は「命を削って作り上げた父親の米」

──父親への敬意を込めて孝征さんが「おやじの米」と名付けたんですか? 

孝征さん いやいや、僕が父親を敬って付けた名前ではないんです。父親が自分で付けた名前なんですよ。おやじは自分のことが大好きで、自分の作った米が日本一うまいと自負していたから「俺が作った最高の米」という意味で、「おやじの米」って自分で名付けたんだと思います。

孝征さんの父、鈴木紀生(のりお)さんは米作りの名人でした。「安全で本当に美味しい米をつくりたい」と、化学肥料や農薬を使わない有機栽培の米作りを追究し、お米日本一コンテストで日本一となる最優秀賞を受賞するなど、全国的にもその名が知られる存在です。

紀生さんは、代々米作りをする鈴木家の長男として、1940(昭和15)年に生まれます。山形県立庄内農業高校を卒業し、本当は化学が大好きで大学進学を望んでいたものの、長男として家業である農家を継ぎました。

ところがその後、日本人の食文化が変化した影響などで米の値段が下落。危機感を抱いた紀生さんは安心安全で美味しい米作りを目指し有機栽培を始めます。さらに「自分の作った米は自分で売る」と考え、生産するすべての米を自ら営業販売することにしたのです。そして首都圏で有機栽培米が評価され販路を拡大し、1998年に有限会社鈴木農産企画を設立しました。

孝征さん 無名の一農家が販路を拡大するために父親の妹──祖父が早くに死んだので父親が妹たちを大学に行かせたそうです──が東京に住んでいるので、それを頼って首都圏で新聞に広告をバーンって出したり、妹に頼んで宣伝してもらって産地直送の購入者をたくさん集めてもらったり。それを突破口にして販路を拡大したんです。そのパワーは半端なくて、そうじゃなかったら、いま僕は百貨店で米を販売できていないでしょうね。僕にその力があるかと言われれば、ないんですよ。米に対する圧倒的な知識と経験がない。

会社の応接間に飾られている「おやじの米」の商標登録証。2017年に登録された。

ゼロから米作りを学ぶ

孝征さんは自身でコンピュータ関連の会社を経営していました。結婚する際も「農家は継がない」と妻に宣言するほどだったといいます。転機になったのは父・紀生さんが体調を崩して倒れてしまったときのことです。

孝征さん 莫大な借金が残っていました。数千万以上はあったと思います。僕はその保証人になっていたから、父親が倒れたときに継がざるを得なかった。それで、まずは機械のオペレーションから始め、2014(平成26)年に鈴木農産企画の役員になりました。それから「有機農業とは、米とは、農家とは」ということを父親に教えてもらおうとしたけど、「見て覚えろ。観察力が大事なんだ」と教えてくれませんでした。だから全然だめでしたね。基礎がないから、本当に右も左も分からない。

鈴木農産企画代表の鈴木孝征さん。

孝征さん ばかだのアホだの言われるだけで、おやじはなんにも教えてくれませんでしたね。一緒に田んぼを回ったのは晩年の2回くらい。トラクターの乗り方も、田植えの仕方も教えてくれませんでした。

──孝征さんはどのように米作りを学んだのでしょうか?

孝征さん 僕は農業高校や大学の農学部で米作りを学んだわけではありません。だから、いまでも自分の知識のなさを痛感する時があります。それでも、おやじはお客さんが来ると「おらいの米は肥料が普通の農家と全然違うんだよ。なんでか分かるか?」って、偉そうによく説明していました。僕はそれをいつも傍らで見て「また自慢して話してる」って思いながら聞いていました。それが予備知識になっていたのかもしれません。知らず知らずのうちに大事なことを教えてもらっていたと思います。

父親と同じくらい尊敬する人、川合肥料の川合元社長との出会い

孝征さん ある日、父親が検査入院したら癌が見つかったんです。それで、おやじと一緒に肥料を開発してくださった川合肥料の川合元社長に「父に癌が見つかって。肥料のことを教えてほしいです」と電話すると「鈴木くん、肥料の事教えてあげるからいつ来てもいいよ」と。それで図々しくもお正月にもかかわらず、すぐさま静岡の川合元社長の元まで行きました。

父・紀生さんは川合肥料の川合元社長とともに、試行錯誤を重ねオリジナルの有機発酵肥料「おやじの稲専用肥料」を開発しました。かつお節の煮かすや米ぬか、昆布などを乳酸菌で発酵熟成させたこの肥料を使い、20年以上にわたって肥沃な土づくりを行っていたのです。

孝征さんが川合肥料の川合元社長から読むように勧められた本。 

孝征さん 川合元社長にイチから肥料のことを教わりました。おやじは毎年多額の費用をかけて肥料づくりにこだわっていたことを知りました。米作りは「土作り」なんです。あるとき、川合元社長からこんなことを言われました。「鈴木くんの田んぼは1億以上の価値がある土なんだよ」と。

孝征さんが有機肥料「おやじの稲」を学んだ3カ月後、2016(平成28年)4月に紀生さんは76歳でこの世を去りました。孝征さんが鈴木農産企画の役員を引き受けてから、2年後のことでした。その日から、孝征さんの苦しい試行錯誤の日々が始まります。

有機なんてやめてしまいたいと思った

孝征さん おやじが栽培していたときの米の収穫量は7俵前後(1反=10アールあたり)、不作のときでも4俵はありました。でも、僕はうまくいっても5俵弱。本当に悪かった令和元年はたったの1俵でした。そのときは取引先もいなくなってしまい「潰れるな」と覚悟しました。もう有機栽培なんてやめてしまいたいと思いました。正直なことを言えば、有機栽培なんてやりたくないです。そのくらい大変なんです。

田んぼに撒く準備をする有機肥料。 

稲は田んぼの養分を吸い上げて育ちます。そのため、一般的な農業では土に養分を入れるため化学肥料や、害虫や雑草を防ぐための農薬が使われます。一方、有機農法は化学的に合成された肥料や農薬、遺伝子組換え技術を利用せず、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した方法で行われます。有機農法では雑草や病害虫により稲の成長が阻害されるため、十分な収穫量を得るのはとても難しく、味も著しく低下してしまうのです。

それでも孝征さんが有機栽培を続けるのは、父親の米作りを次世代に繋いでいきたいという想い。そして、父親が作ったオリジナル肥料を使うとお米が本当に美味しくなるからだといいます。「おやじの稲」は、グルタミン酸やアスパラギン酸など、旨味成分をふんだんに田んぼに含ませ、色つや香り、甘み、そしてお米本来の旨みを引き立てるのです。

毎年改良を重ねている有機肥料「おやじの稲」のペレット。 

安全安心は当たり前、本当に美味しい米を

孝征さん 安全安心だからといって、美味くなければ百貨店の人は買ってくれません。ある日、百貨店の催事で「魚沼産の米じゃなければ美味しくない」と言われたこともあります。産地ブランドという固定概念を覆す美味しさが必要だと悔しい思いをしました。だからこそ百貨店で米を売るためには「有機栽培だからいい」のではなく、美味しさが伴っていないと受け入れてくれません。

孝征さんはその後も「おやじの稲」の改良を続け、ある百貨店で一番売れている米になったといいます。「有機だからいいわけじゃなくて、うまいことが大前提」だと孝征さんは強調します。

徹底した衛生管理(HACCP準拠)で行う精米作業の様子。土足禁止の「清潔区域」になっている。

孝征さん おやじが死んだあとも弊社オリジナル肥料である「おやじの稲」は毎年改良を重ねています。明日どうなるかわからない会社だけど、お客様に最高のお米を届けたい。僕たちにはそういう自負があるんです。

米作りが生業である以上、持続して行くために採算をとらなければなりません。農薬や化学肥料を使い、十分な収量を確保して養分を持続的に投入する一般的な農業(慣行農業)に比べて、有機農業は収量が少なく多くの費用と手間暇が掛かります。そのため、どうしても米の価格は高くなってしまいます。 

孝征さん 大手チェーンの小売店から取り扱いを打診されましたが、「価格が高い」と断られたこともありました。いま国では有機栽培を推進する取り組みを行っていますが、適正価格で売れないと、農家は作り続けることができません。補助金だけを頼りに有機農業をするのではなく「この値段で売れるのなら有機をやってみようかな」と思えることがなにより大事です。だから、正規の単価で売るためには、まずは本当の有機農業のことを消費者の方にも知ってもらわないといけないんです。

自分の米の値段は自分で決める──。そう考えた孝征さんは、都内で「おやじの米」を使ったおにぎり屋さん「すずのおむすび」を2018(令和元)年11月に出店。現在4店舗(うち3店舗は駅売店)と自販機1台を展開しています(2023年4月現在)。さらにJAS有機米の玄米パックご飯の商品化も実現し、有機栽培のお米をより手軽に楽しめるようにしました。

「おやじの米」を使った「すずのおむすび」。具材もこだわりの逸品ばかり。
[写真提供=鈴木農産企画]
「おやじの米」で作った玄米のパックご飯。

 安心で美味しいけれど、採算が難しい有機栽培米。それでも「おやじの米」を作り続けるのは、次期社長の“三浦さん”の存在があるからだと言います。

孝征さん 三浦はおやじの最後の弟子です。僕も三浦も、父親・先代が作っていた米に誇りを感じ、どのお米よりも美味しいと言う自信があるし、有機農業に傾倒して命を削ってやってきたのを見てきたから、やっぱり次の世代に残していきたいと思っている。彼が「がんばりたい」と言ってくれたので、なんとか続けられないかと、いま試行錯誤しながら有機農業をやっています。

トラクターで肥料を撒く三浦洋さん。 

孝征さん 米作りは直接おやじからはほとんど教えてもらえなかったけど、大事なことを教わりました。「観察力」「米作りは土作り」「独自の栽培理論」を遺していってくれた。いまもピンチになるとおやじの言葉を思い出します。そして、「ああ、こういう時、おやじはあれやってたなぁ」なんて記憶を辿り、ようやく合点がいく。そんなことを繰り返しています。「そういうことなのか」って。

── 「おやじの米」の「おやじ」にはふたつの意味があったんですね。

孝征さん 「おやじの米」は父親が名付けた名前ですけど、商標は僕が取ったんです。もともと、おやじにとっての「俺の米」だけど、僕からすれば本当の「おやじ」ですから。いずれ三浦が社長になったら「三浦の米」になるかもしれませんね(笑)。それでも、先代(鈴木紀生)が丹精込めた作った「おやじの米」を後世に継いで行きたい。その思いは僕も三浦も変わりません。

取材後、孝征さんは「おやじの米」を荷室に載せて車に乗り込みました。「手ぶらで営業に行くわけにはいかないですからね」と言って、自らハンドルを握って東京へ走り出していきました。

[インタビュー=2023年4月5日]

鶴岡市の基幹産業である農業は、豊かな自然と先人たちのたゆまぬ努力で培われてきた技術によって営まれており、日本初のユネスコ食文化創造都市として評価されています。「人と環境にやさしいまちづくり」を掲げ、全国で2つの自治体しか有していない有機JAS認証の登録認証機関になるなど、これまでも有機農業の推進に取り組んできました。これからも有機農業をはじめとする持続可能な農業を広めていくために、鶴岡市は「オーガニックビレッジ」を令和5年3月31日に宣言しました。

この宣言を記念し、鈴木農産企画の鈴木孝征さんや三浦洋さんがつくった有機栽培米「おやじの米」を、ふるさと納税返礼品として50セットをご用意しました。ふるさと納税ポータルサイト「ふるなび」にて取り扱い中です。

オーガニックビレッジとは
農林水産省では、有機農業実施計画を策定し、地域ぐるみで有機農業に取り組むモデル的先進地となる市町村において「オーガニックビレッジ」を宣言する取り組みを進めており、2025年までに100市町村が宣言することを目標としています。 

文・構成=水野雄太(鶴岡市ふるさと納税担当)
写真=齊藤悠紀(鶴岡市ふるさと納税担当)

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