食べることを自分ごとにする──鶴岡市・ユネスコ食文化創造都市認定10年のあゆみ
「気づき」を伝えてくれたユネスコ認証
総合卸商社での勤務経験をもつ中野律さんと、ウェディングプランナーから日本料理店の女将に転身した小野愛美さん。ふたりは、かつて鶴岡食文化創造都市推進協議会の一員として、まだ地元の人びとも気づいていなかった食文化の魅力を伝える取り組みを続けてきました。自分たちの足元にある価値に気づき、時間を掛けて共有していく──。そのあゆみをお聞きしました。
「ここにはなんにもねえ」からの出発
律 このあいだ、ほかのまちに行ったときに地元の方からこんなこと言われたんです。「ここにはなんにもねえなさ、よぐきてくれたの」って。10年前の鶴岡を思い出しました。自分たちの足元にある価値に気づいていない。
愛美 私たちも、かつて「街全体の飲食店が連携する食のフェアに参加しませんか」って鶴岡の飲食店に呼びかけても、ぜんぜん理解してもらえなかったよね。玄関先で怒られたりもしましたよ。「飲食店になんのプラスにもならないようなことを押し付けるな!」って(笑)
律 言われてみればたしかにそうなんです。こちらの想いを一方的に押し付けるだけでは、いい関係はつくれない。いきなり食文化のフェアをやるって言っても、飲食店の人たちのためにはならないですから。
──その後、どうしたんですか?
愛美 まずは、料理人の方たちに「どういうことを勉強したい?」「だれに学びたい?」とヒアリングを何度も重ねました。私はもともと飲食業界にいたので、やはり学ぶ機会が必要だな、とすごく感じていたので。
律 飲食店って家族経営が多いので、研修を受けたりするのではなく、親から「俺の背中を見ろ」と言われて学ぶようなことが多いんですよね。でも、ユネスコの認定をきっかけに、郷土や食文化を学ぶことに興味を示す人が、少しずつ増えてきたんです。
愛美 ユネスコ認定直後の1-2年のあいだ(2015-2016年)に、「鶴岡のれん」という街バルイベントや若手料理人向けの講座を開催しました。酒蔵で地酒の醸造を見学したり、郷土文化と行事食の起源を学んだり、庄内豚の半身を解体して、その特徴を学んだり。洋食や和食、定食や居酒屋など、カテゴライズせずに学びたい講座に自由に参加できるようにしました。
律 料理人の方が動きやすい時間帯──たとえば、昼休みの2時とか4時とか──にセミナーを開きました。料理の技術だけじゃなくて、「これからはSNSの時代だから」と、写真の撮り方とか、料理の盛り付け方を学んだりしてね。料理人どうしの交流が生まれたり、生産者と料理人のつながりができたりもしました。
鶴岡らしいガストロノミーを学ぶ
愛美 そうやって料理人たちとの関係をつくりながら、2017(平成29)年に「食文化創造アカデミー」[*1]を立ち上げました。そこで学ぶのはガストロノミーです。ガストロノミーといっても、いわゆる「美食」とか「ぜいたくなもの」という意味ではありません。郷土文化や農学、科学、芸術……食にまつわる知識や技術を含めての「ガストロノミー」です。そのすべてをカリキュラム化したんです。
──ガストロノミーという言葉には「文化と料理の関係を考察すること」という意味合いもあるようですね。
愛美 そうですね。それに「風土によって育まれる食文化」みたいな言い方は、はっきり言えば日本全国どこも一緒なんです。だから、この食材がここにある必然性をみんなと共有して、掘り下げられること。それがとても大切だと思ったんです。
律 鶴岡らしいガストロノミーってなんだろう、ということだよね。
愛美 いわゆる「美食=おいしいものを食べる」という点だけでは、ほかの地方都市と比べたら鶴岡は負けてしまいます。店舗も人材の数も少ない。だから、私は鶴岡で料理業界に携わる立場として、料理人の人たちにも言うんです。「この食材がこの土地にある必然性をどう料理で表現するか。それは料理人にしかできない社会的使命だ」って。
時間をかけてプロセスを共有する
律 料理人の方たちと議論を重ねながら、目指したい未来を一緒に共有して、ウィン・ウィンの関係を10年間続けてきました。そうやって、料理人との関係の考え方を、がらっと変えたひとりが小野さんですね。
愛美 あのとき、玄関先で怒鳴った人は覚えていないでしょうけどね(笑)
律 私は長いあいだ食文化創造都市に関わっているから言いますけど、鶴岡の長所は、私たち“じゃじゃ馬”の意気込みを認めて、長期的な視点から人材育成に力をいれたことです。料理人だけじゃありません。鶴岡に暮らしている人が食の案内人になる「鶴岡ふうどガイド」[*2]もそのひとつです。
──律さんは2013(平成25)年に「鶴岡ふうどガイド」の養成講座を立ち上げました。どうして始めようと思ったのでしょうか。
律 焼畑ロードで見た風景がきっかけですね。市街地から日本海に抜ける国道345号線という道があるんですが、その沿道には鬱蒼とした森と山が続いているだけで、以前は「退屈な道だな」って思っていたんです。でも、ここは別名「焼畑ロード」と呼ばれていて、伝統的な焼畑が行われる地域だと知りました。沿道から小道で山の中に入ってみると、そこには別世界が広がっているんです。大きな切り株があったりして、まるで外国の物語みたいで。
──ここが「焼畑ロード」だと知ると、見慣れた風景も変わりそうですね。
律 それ以来、風景を見る目が変わりました。小さい杉の木を見て「焼畑したのは何年前くらいかな」って考えながら、森が再生していく月日を想像していると、退屈だった345号線があっという間なんです。それなら、ここにほかの人を連れてきても、きっとおもしろいんじゃないか。そう思える仲間を増やしたい。そう思ったのが、鶴岡ふうどガイド事業をやろうと思ったきっかけです。
──それから10年以上が経ち、鶴岡ふうどガイドは延べ84人になりました。さまざまな職業の方が所属されているそうですね。
律 目先の成果にとらわれず、長期的な視点で価値や目的を共有する。時間をかけたプロセスのなかでこそ、異分野の人どうしが分かり合える。山頂への登り方がいろいろあるように、アプローチの仕方は人それぞれ違っていていいんです。
食べることに向き合い、自分ごとにできる場所
鶴岡商工会議所で観光事業を担当している後藤富実さん。中国やカナダなど、さまざまな地域での暮らしを経験した彼女は、鶴岡の人びとを「食に追われる民」と表現します。そして、市の職員として食文化創造都市の事業に携わって7年目になる大川尋子さん。以前からときどき聞かれる問いがあるのだとか。
ここに来なければわからない魅力
富実 鶴岡の人って「食に追われる民」なんです。孟宗汁食わねば、だだちゃ豆食わねば、庄内柿食わねば、寒鱈汁食わねば……って。1年中「あれ食べねばね」って追われてるんです。いま食べないと食べられなくなってしまうから。
──季節の食材そのものが一番おいしい、と。
富実 それは加工品として売り出しづらいことの裏返しでもあります。たとえば、青森のりんごは年間を通して安定的に供給できて、加工もしやすい。そのまま食べてもいいけど、お菓子にも料理にもバスソルトにもなる。鶴岡にはりんごみたいな輸出品がとても少ない。
──だだちゃ豆の加工品もおいしいですが、まずは採れたてを食べてほしい。
富実 そうですね。だから、商工会議所では海外輸出をどうしようか、ずーっと悩んでいるんです。やっぱり、ここへ来てもらうしかないんですよね。ここに来て、そのときに食べられるもの、そのときにしかできない体験をしてもらいたい。
愛美 それって、なにかひとつの「観光の目玉」があるイメージとは、ちょっと違いますよね。
機会と体験をつくる
富実 ところで、鶴岡の郷土食である笹巻(もち米を笹の葉に包んで作られる粽[ちまき]の一種)が注目されるようになりましたよね。文化庁の「100年フード」に認定されたり、「庄内の笹巻製造技術」が国の登録無形民俗文化財に登録されたり。にもかかわらず、笹巻を食べられる市内の飲食店って意外と少ないんです。
──たしかに、来訪者が郷土食を食べられる機会って少ないですね。
富実 郷土料理は生活に溶け込んでいるから、分かりやすいかたちが見えないんです。なので、まずは笹巻きを食べられる飲食店を増やそうとしています。
尋子 笹巻の100年フード認定や国の登録無形民俗文化財の登録をきっかけに、自分たちの食文化が全国的にも認められた。市民のみなさんも、そういうふうに誇りに感じている方が増えてきていると思います。鶴岡の特徴的な魅力ある食文化を広く発信していきたいです。
富実 そうですね。笹巻に限りませんが、海外の人にも食文化のよさを本当に知ってほしいと思っています。鶴岡に住む外国人の人に魅力を感じてもらい、それぞれの国の言葉でそれぞれの国の人に発信してくれるのがベストです。そのような思いから、鶴岡市に住む外国人に向けた食文化体験ツアーを企画しました。
──ツアーではどんなことを?
富実 老舗の漬物屋を見学したり、お寺で座禅体験や精進料理を体験したり、産直で庄内砂丘メロンを味わったり、畑でだだちゃ豆を収穫してその場で食べる。その様子を、母国の言葉でSNSに投稿してもらうんです。いわば、草の根親善大使になってもらおう、というわけです。外国の人の信仰はそれぞれ異なっても、「食」はだれにでも共通することなので。
律 ここには海も山も里も砂丘もあるから、海外の人にとってもひとつくらい共通点があるんですよね。私たちがユネスコの認定をきっかけに気づきをもらったように、この地で気づきを得てもらいたいですね。
食文化創造都市はなにを目指している?
尋子 ところで、「食文化創造都市はなにを目指しているの?」とか「(スローガンとして掲げている)食の理想郷ってなに?」っていう質問をときどきもらうことがあります。
律 「ユネスコの認定を取ってなにが変わるんだ」って言われたこともあります。私にとっての大きな変化は、食を自分ごととして見つめ直すきっかけをもらったことです。その気づきををどう活用するかは、これからの鶴岡の人たちの手に掛かっている。
尋子 そうですね。この認定をきっかけにして、観光や商業、飲食業のみなさんが、それぞれに実現したいことの足がかりにしてほしい。そのための認定だと私は思っています。
律 食べることを他人まかせにしがちな世の中だけど、ここでなら食べることを自分ごとにできる。食と真剣に向き合って、生きるための教育がここにある。それが鶴岡らしいガストロノミー、「食の理想郷」のひとつじゃないかな。
愛美 ここで考えて、ここを見せて、ここから発信していく。そのことに意味があるんだよね。
[2024年7月22日、ピノ・コッリーナ松ケ岡にて]
料理人が表現者としてあるために
鶴岡の郷土料理や在来作物の伝統を継承する料理人の大会「次世代ガストロノミーコンペティション」。2023(令和5)年のグランプリ受賞者が話題を呼びました。弱冠26歳の佐藤渚さんです。彼女は酒田調理師専門学校を卒業後、株式会社エル・サンに入社。女性初の受賞者ということで、プレッシャーを感じつつも、ある心境の変化があったと語ります。
食の現場は“社会”を映す
愛美 グランプリを受賞したことで変化はありましたか?
渚 良くも悪くも変わりました。受賞したことで、やっぱり周囲の方への感謝の気持ちが芽生えました。一方で、女性だし、若いし、大きい賞をとってしまったので、いいことを言われなかったりして、落ち込むこともありました。
愛美 料理業界でも女性の役割は重要視されているけれど、やっぱり…そうだよねぇ。
渚 出産とか子育てがあると、どうしても料理業界を離れなきゃいけない女性ってたくさんいるんです。同僚や先輩も、子育てのために料理人を辞めたり、違う部署に移ったり。そんな人たちと一緒に働き続けられるような環境をつくっていけたらと思って。
愛美 そうだよね…。とはいえ、料理業界もだいぶ変わってきましたよ。きちんと週休2日をとるようにしたり、ワークライフバランスをきちんと考えるようになったり。そのぶん料理の単価を上げて、飲食店の収益を支えないといけない。経済全体の話に関わってくるわけです。食べることはぜんぶ社会課題につながっている。
渚 受賞したことの変化といえば、先日こんなことがありました。グランプリを受賞したあと、鶴岡市の広報紙(2024年2月号)に取り上げてもらったんです。そこに「料理本を集めるのが趣味」と書いたら、市内に住むの90歳のおばあちゃんから電話が掛かってきて「他界した料理人の息子が集めていた料理本がたくさんあるから、その本を譲り受けてくれませんか」って。
愛美 ええ!すごーい!
渚 すごい嬉しくて、すぐ取りに行きました。袋いっぱい。そこに古い郷土料理の本があったんです。「わー!これいいな!」って、テンションが上がりました。でも、そのおばあちゃんは立派な大きな家にひとりで住まわれていたんです。こういう人のために料理人としてなにかできることはないかな、って。そんなことも思いました。
マカオ国際食文化フォーラムで経験したこと
──先日、ユネスコ創造都市ネットワークとして連携しているマカオ(中国)にも行ったそうですね。
渚 6月14日から19日のあいだマカオに滞在して、「マカオ国際食文化フォーラム2024」に参加してきました。私は弁慶飯と麦切り[*3]を振る舞ったんです。50食を用意したんですが、すぐに行列ができて、食べられない人もいるほどでした。
──食べた人からはどんな感想がありましたか。
渚 「出汁がおいしい!」って好評でした! 私の尊敬する上司から教えていただいた出汁です。かつお、昆布、さば、宗田節、トビウオ……私も最初に飲んだときはすごく衝撃的でした。いろんな素材がブレンドされているのに、各々のよさが活きていて、「こんなにおいしい出汁があるのか!」って。だから、ぜひ海外に持っていきたいと。
愛美 食文化や食習慣の異なる国の人たちにも受け入れられる出汁って、素晴らしいですね。
尋子 いろんな国の料理人たちと交流しましたね。私も同行して渚さんの滞在をサポートしました。西アフリカのベナン、オーストラリアのタスマニア……。お互いの国の料理を交換しあったりして。
渚 生牡蠣を使ったソースの料理をすすめられたときは、ちょっと困りましたね。これからショーに出演するから、いまお腹壊したくないな…って(笑) でも、海外に行くだけでも、ふだんとはまったく違う経験ができます。若い人にはぜひ行ってほしいなと思いました。
料理人は表現者!?
──小野さんは長らく料理人の育成事業を手掛けてきました。これから料理人の役割はどう変わっていくと思いますか?
愛美 私は料理人の方に「表現者」としての役割をずっと課してきました。あなたたちは表現者ですよ、って。表現者である料理人は、それだけで社会に与えるインパクトが大きいわけです。社会の課題を解決するために不可欠な存在。その役割はこれからも変わりません。
渚 私も料理人って素晴らしい仕事だと思っていますが、いまの若い子たちは「料理人って拘束時間が長いじゃん」と言って、職業として選ばなかったりする。でも「あなたたちは表現者だ」なんて言われたら「ああ!そうなのか!」って。料理をつくることの意義に気付かされるようです。
──料理人を目指している方に、どんなことを伝えたいですか?
渚 次世代ガストロノミーコンペティションをきっかけに、私はどんどん新しいことに挑戦できるようになりました。たとえ予選落ちでも学べることがあると思うし、努力する過程で得られるものもあると思います。ぜひ挑戦してほしいなと思います。
尋子 渚さんが20代で受賞されたので、若い世代の人も勇気を出して応募しやすくなったんじゃないかな。これからどんな人が応募してくれるのか、楽しみですね。
渚 自分と同世代の人も、より若い世代の人も、食文化に携わっていける未来であってほしいと思います。ひとりじゃなにもできないですから。女性の料理人や生産者さんのためのイベントなんかもできたら楽しそうですね。
愛美 いいね! それ、絶対やろう!
[2024年8月2日、グランド エル・サンにて]
中野律(なかの・りつ)
山形県鶴岡市(藤島町)生まれ。都内の総合卸商社勤務、鶴岡食文化創造都市推進協議会を経て、DEGAM鶴岡ツーリズムビューロー。鶴岡ふうどガイド事業を担当
小野愛美(おの・まなみ)
山形県金山町生まれ。ウェディングプランナー、日本料理店の女将、鶴岡食文化創造都市推進協議会を経て、合同会社Maternal代表社員。サスティナ鶴岡を運営。
後藤富実(ごとう・ふみ)
山形県鶴岡市生まれ。ANA、重慶総領事館、国際交流基金勤務を経て、鶴岡商工会議所で観光を担当。観光協会、観光ガイドの事務局などを務める。
佐藤渚(さとう・なぎさ)
山形県鶴岡市大山生まれ。料理人。2022(令和4)年に株式会社エル・サン入社。2023(令和5)年度次世代ガストロノミーコンペティション・グランプリ受賞。
大川尋子(おおかわ・ひろこ)
山形県鶴岡市(羽黒町)生まれ。鶴岡市職員。2018(平成30)年から鶴岡市役所食文化創造都市推進課。鶴岡ふうどガイド認定取得。
ふるさと納税の返礼品に「鶴岡まるごと定期便」登場!
鶴岡市ユネスコ食文化創造都市認定10周年を記念して、ふるさと納税の返礼品として「鶴岡まるごと定期便」が登場しました。舌の肥えた鶴岡市民を唸らせる四季折々の旬の味覚を、毎月ご自宅にお届けします。あなたも「食に追われる民」になってみませんか……!
お申し込みと入金の締切は2024(令和6)年12月31日まで。発送時期やお申し込み方法など、くわしい情報はこちらのページをご覧ください。
2024年12月7日に「つるおかふうどフェスタ」開催!
そして、鶴岡市ユネスコ食文化創造都市認定10周年を記念して「つるおかふうどフェスタ」を開催決定! ユネスコ認定の功労者のトークセッションのほか、海外の食文化創造都市や海外姉妹都市の料理人による料理デモンストレーションや試食提供、食やクラフトの体験、食文化に携わる団体や事業者などによる活動紹介、飲食物の販売などを実施する予定です。ここ鶴岡で食の未来「食の理想郷」の姿を探してみませんか。
「つるおかふうどフェスタ」
日時:2024(令和6)年12月7日(土)10:30–17:30
会場:グランド エル・サン(山形県鶴岡市東原町17-7)
入場料:無料
くわしくはこちらのページをご覧ください。
文・構成=水野雄太(鶴岡市役所総務課ふるさと納税担当)
写真=佐藤英世(鶴岡市役所総務課広報広聴係)