「楽しい農業ってなに?」持続可能な農業に取り組む──鶴岡協同ファーム
GAPに取り組む生産者に聞く vol.1
全国でも有数の米どころ・庄内平野。その南方に位置する鶴岡市では、標高1,984メートルの名峰・月山から流れる豊富な雪どけ水が夏まで田畑を潤し、昼夜の大きな寒暖差によって育つお米は旨味が凝縮されます。もちもちとした弾力のある食感に、ほのかに感じる上品な甘み。鶴岡市は、全国的に高い人気を誇る“つや姫”が誕生した地としても知られています。
鶴岡市ふるさと納税の返礼品では、お米は最も人気のあるジャンルです。その中でも、約40品もの人気返礼品を取り扱っている鶴岡協同ファーム。その代表取締役、五十嵐 一雄(いからし かずお)さん(58歳)と、一雄さんの長女である瀬尾 蘭(せお らん)さん(29歳)に、お話を伺いました。
はじめての農業はアメリカで
──五十嵐一雄さんは、そもそも農家の生まれですか?
蘭さん「お父さんで何代目だっけ」
一雄さん「14代目。実家は3ヘクタールの農家で。まあ40年くらい前だったら普通の農家ですね。うちらの5歳くらい上の世代だと、「お前は跡継ぎだぞ」って言われて農業を続けるパターンだけど、自分たちの世代になると、もう農業は継がんでいいと言われてました」
──専業だと難しい?
一雄さん「両親の口癖が『お金ないお金ない』って。冬になると父親は出稼ぎに行って、母親は土木の仕事してましたから。そうじゃないと食えない。そんな状態で息子に農業しろなんて言えるわけないし、こっちもしようと思わなかったですね」
──それがどうして農業の道へ?
一雄さん「1983(昭和58)年に地元の高校を卒業して、学校の先生になりたくて大学を受験しました。それが2回目落ちてどうしようかと思った時に、ちょうどアメリカに2年行く農業研修プログラムがあるのを知って。国際農業者交流協会が主催していて、お金はかかんない。中学から英語が得意だったから、これは良いぞと。とにかく応募して試験受けて合格して。2年間遊べるんだと喜びました(笑)」
一雄さん「ところが合格してから講習受けてるうちに、あら、これはちょっと違うと。半年は現地の大学に行って、1年半は農場で実習を受けるんですけど、その労働で得た対価で、渡航経費と学費を払う。その労働が、まるで奴隷に行くみたいで。今更断われないし、じゃあ行くしかない。これが初めての農業でしたね」
一雄さんが配属されたのは、オレゴン州の人口2,000人ほどの街。70歳の退役軍人の夫婦が営む、100ヘクタールのタマネギ農場でした。
一雄さん「100ヘクタールなんてアメリカじゃちっちゃい。行ったのがクリスマスも終わってからかな。ひとり従業員が辞めて夫婦二人だけになった。そこに私みたいな、なんにも知らないジャパニーズボーイがやってきたと。バス停までボスが迎えに来てくれて自宅に連れていってもらったら、自宅とは別に畑の真ん中に一軒家。ここがお前の住む家だって」
── 一軒家をあてがわれたんですか!
一雄さん「一緒にご飯とか食べたりしないですよ、自炊です。だって労働者ですから。冬は道路や土がカチカチになってるから畑なんて出られなくて、秋に収穫しておいたタマネギを、大型トラックを呼んで出荷する。『へー、タマネギってすぐ売らないで、ちゃんと倉庫入れて売るんだー』みたいに思ってて。ボスもそんな忙しくないからって、毎日ぐだぐだ。町行って遊んだりしてましたね。
そしたら、春になっていきなりボスから『明日から旅行に行くから、タマネギの種まいておけよ』って言われて。まき方なんて分かる訳ないじゃん!」
──どうされたんですか?
一雄さん「ボスが種まけって言ってるってことは、どっかでも種をまいてるはず。だから別の農場行って、ちょっと見してくれと。どんな機械があって、どういうトラクターで調整したらいいのかなとか、種まいた後どうなればいいんだとか。向こうも日本人が珍しいから真剣に教えてくれて。これが楽しいのよ」
一雄さん「初めてタマネギっていうものを作りました。日本だったら収穫したタマネギはJAさんに売りますよね。そうじゃなく、面白いのが当時出始めだったコンピューターでどこの市場が高く買ってくれるか調べて、売りに行く。運送会社に電話して、ここまでいくらで走ってくれる?って交渉して。そういうことやらせてもらうと、楽しい。こういう農業って、日本でやっても楽しいんじゃないのと。だったら俺、日本帰ったら農業しようと決めたんです」
日本で農業をやっていく
アメリカで農業を学び始めてから2年後、一雄さんが帰国したのは1988(昭和63)年。当時22歳でした。
一雄さん「これがちょうどよかった。4年間アメリカの大学に留学してきたぞって顔ができた(笑)。そしたら、辺りの年配の人たちが『やっぱりあそこん家のせがれ百姓するんだ』ってなって、機械とか貸してくれて。3ヘクタールの田んぼが3年くらいで10ヘクタールになったのかな」
自分で作った農作物に自分で値段をつける経験をした一雄さん。その時に感じた「楽しい農業」を日本で実現するために必要なのは「販売の自由」と考えました。
一雄さん「ちょうどJAさんのカントリーエレベーター(米の貯蔵施設)っていうのが庄内の各地に出来始めて、これからは全ての米がああいうところに入るんだろうなってイメージがあって。でもそれじゃつまんない。農業者が「販売する権利」を失う訳ですから」
しかし、当時の日本では食糧供給の安定や米の価格の高騰を抑えるために、政府が食糧管理法で米の販売を管理していました。政府が指定した集荷法人(農業協同組合=JA)を通して米の売買をすることが義務付けられ、一雄さんも1988(昭和63)年~1993(平成5)年までは農業協同組合と米の売買をするしかありませんでした。
──帰国後、日本の農業の見え方は変わりましたか。
一雄さん「作ったものはJAさんに売るしかない、というルールがカルチャーショックでしたね」
一雄さん「それで、1994(平成6)年からは奥さんと特別栽培米制度*を使って米を直接売ろうと考えました。ただ、食糧事務所に取引先を申請しなきゃいけないから、1993(平成5)年、地元の新聞に『平成6年産米を契約しませんか』って広告を出したんです」
──特別栽培を始めたキッカケは、自分で作ったお米を直接売るためだったんですね。
一雄さん「自分で作ったものに自分で値段をつけて、直接売るのが夢でしたからね」
ところが、一雄さんが広告を出した1993(平成5)年、日本は記録的な冷夏に襲われます。冷害と相次ぐ台風の上陸によって日本各地で米が不作となり、いわゆる「平成の米騒動」と呼ばれたこの一件で、予想外のことが起こりました。
一雄さん「その年は日本から米がなくなったんです。庄内平野は全然影響がなかったけど、内陸なんかは1割も取れなくて、太平洋側は全滅とか。だから日本でお米屋さんから10kg米を買うと、そのうちの半分はタイ米だった。そんな時期に広告を出したから、とんでもないほどの電話があって、3日間電話が鳴りやまないの!」
──それはすごい反響ですね。
一雄さん「勘弁してくれ~みたいな状態でしたね。1995(平成7)年からはお米の販売を自由にできるようなって、食糧事務所に申請する必要がなくなった。売り上げも順調で、2003(平成15)年3月12日に法人設立の申請をしました」
──どうして「鶴岡協同ファーム」という社名に?
一雄さん「ちょうどそのころ市町村合併の話(平成の大合併)が出て、鶴岡なくなんのかなって噂がちらっとあってね。じゃあ社名に『鶴岡』はつけようよと」
蘭さん「『協同』は(妻の)明子と協同してやるからって言ってたね」
一雄さん「そう。それで会社を設立した10年くらい前かな。EUが出来て物流が自由*になったじゃないですか」
一雄さん「たとえば、ドイツのジャガイモをフランスで売る時に、それ、ドイツではちゃんとした工程で作ってんの?って、フランス人が不安になったりしますよね。自分も、他の国で作られたものを見た時に、その野菜や衣類って誰が作ってんの?って思ってて。実は子どもたちが学校に行かずに強制的に作らされてるものかもしれない。もしそうなら、そんな世の中はよくないし、そんなの食べなくていいし、着なくていいって思った。でもその生産工程は外からは見えない。それでうちは、GAP(ギャップ)認証を取る事にしたんです」
『GAP認証』と『GAPの取り組み』
一雄さんの言う GAP(ギャップ)とは、Good Agricultural Practice(よい農業の取り組み)の頭文字を取った言葉で「農業生産工程管理」と呼ばれます。
農林水産省では以下5つの取り組みを「国際水準GAP」と呼称して、普及に取り組んでいます。
これら「GAPの取り組み」を、第三者が客観的に審査し証明する認証制度が「GAP認証」です。
始まりは1990年代、ヨーロッパの大手スーパーマーケットでは、農家に対して農産物の生産における安全管理について細かく条件を定めていましたが、各スーパーマーケットによって基準がバラバラでした。そこで共通のルールを作り、農家の生産工程の管理が適切であるかどうか、第三者による確認を求めたのが「GAP認証」の始まりです。
日本では2020年東京オリンピック・パラリンピック選手村で使用する食料の調達条件に、GAP認証の取得が加えられたことで話題になりました。
さらに各都道県で独自に条件を定めて認証する、通称「都道府県GAP」などがあります。鶴岡協同ファームは、山形県が策定する「やまがたGAP」の認証を令和4年に取得しています。
一雄さん「最初、自分はGAP認証を取る必要があるのかなって思った。GAP認証を取って家の米が高く売れんのかって。でも、高くは売れないだろうと」
──では、どうして認証を取得しようと思ったのでしょうか。
一雄さん「じゃあ、なんのためのGAP? 自分のため? 会社のため? 勉強していく内に、GAP認証はものを高く売るためのツールじゃないって理解した。農場がきれいになって、うちの従業員の安全管理だったり、楽しく安全に農業ができる手段がGAPだと思ってます」
──色んな種類のGAP認証がありますが、どうしてやまがたGAPを取得したのでしょうか。
蘭さん「どこに向けて販売するかで、どのGAP認証を取得したいのか変わってきます」
蘭さん「例えば、アジア圏内に出荷するんだったらASIAGAP、ヨーロッパだったらGLOBALG.A.P.の取得を目指すことになると思います」
GLOBALG.A.P.は世界130か国以上に普及しており、事実上の国際標準となっている一方で、JGAPとASIAGAPは日本で作成された基準であり、日本国内およびアジアに適した内容の基準となっています。やまがたGAPは国際水準GAP認証取得へのステップアップとして、山形県が認証の取得を推奨しています。
蘭さん「私たちはいきなりJGAPだと検査項目が細かくて厳しいかもしれないので、とりあえず都道府県GAPを取ろうって決めて、そこからもう資料を読み漁りました。今年はJGAPの取得を目指します」
蘭さんは鶴岡協同ファームに勤務する夫と共に4人のお子さんの育児に励みながら、令和4年にJGAP指導員の資格を取得。令和6年のJGAP認証の取得へ向けて会社をサポートしています。
一雄さん「GAPに取り組んでる人はわんさかいますけど、でも認証を受けてません、では、本当に取り組んでるか分からない。けど、これから当たり前になるんじゃないですかね。それなら、認証は取った方がいいですよね」
【GAP】実際の取り組み
鶴岡協同ファームが認証を取得しているやまがたGAPの取り組みについて、山形県が策定する認証基準(米)を基に、実施例をいくつか伺いました。
蘭さん「GAPに取り組んで一番大きく改善したところって、工具とか農薬とか置いてある場所が、もう、すごいキレイになって!物がなくならなくなった。今までは整備し終わった工具はそこらへんにポイッって感じだったんですけど、従業員ひとりひとりが整理整頓に取り組むようになりましたね」
実際に作業場を見せて頂くと、販売店のように工具が整然と並んでいました。このように工具を整理することは、従業員の怪我を防ぎ「労働安全」にも繋がります。
「農薬の保管管理を適切に行っている」
やまがたGAPでは、農薬は専用の場所で保管し、開封した農薬がこぼれたり、他の農薬容器に付着しないよう管理することが求められます。鶴岡協同ファームでは、施錠のできる保管庫に農薬を収納し「農薬保管庫」と明記しています。紛失を防ぎ、落下等による漏れがないようにしています。
「労働安全のリスク評価を行っている」
一雄さん「GAPに取り組む前は、この地図だってなかった。各地にある自分のところの田んぼに色を塗って、近くに保育園や通学路があるから注意箇所とか書き込んでます」
事務所の机いっぱいに広がる大きな地図には「通学路注意」や「保育園注意」と記入されたふせんがいくつも貼られていました。
やまがたGAPでは、農産物取扱工程において、ほ場、作業道、農産物取扱施設及びその敷地等における危険な場所や作業を特定し、そのリスク評価を年に1回以上行うことが適合基準となっています。
自分たちが所有する土地や建物を地図に起こして明確化にした「ほ場マップ」を用いることによって、地域の状況や周囲の施設などを把握し、リスク管理を行うことができます。
一雄さん「これからは、ふるさと納税サイトの中でも『GAP認証農産物』っていうのが増えていくんじゃないですか。消費者に安全が伝わって、順調に売り上げが伸びたら、じゃあ俺もGAP認証取ろうかなっていう農家が増えるかもしれない。そしたら、鶴岡のお米が安全だっていう価値に繋がると思います」
山形県認定農業者協議会の会長も務める一雄さんは、GAP認証の必要性を知ってもらうために令和6年3月に「鶴岡ギャップ研究会」を発足。GAP認証の取得に意欲を示す7経営体が集まりました。JGAPの指導員の資格を持つ蘭さんと一緒に、研修を通して安全管理や労務管理を指導。研究会に集まった7経営体は、まずはやまがたGAPの認証取得を目指すと言います。
おわりに
一雄さんはGAPの取り組みを始める前から、地元ボランティアと共にアジア・アフリカ支援米運動に取り組み、毎年300kgの米をアフリカのマリ共和国に送っています。支援米運動は一雄さんの個人的な理念として行っていることですが、農業者が持続可能な農業を促進することで飢餓を終わらせ、より良い社会の実現を目指すGAPの理念*とも一致します。
また、一雄さんは自身が農業を学ぶきっかけを作った国際農業者交流協会の日本事務所が受け入れた、フィリピン、タイ、パプアニューギニア、ウガンダなどの外国人研修生に対して農業研修を実施、その地域の農業の発展に貢献しています。
一雄さん「さっき、他の国のものを買う時に、子どもたちが学校に行かずに強制的に作らされてるものだったら、そんなの食べなくていいって言ったけど、例えば、うちの従業員だって最低賃金で働いてるとしても別に違法じゃない。でも、もし長男が他の職種の友人と会った時に、自分が安い給料だと分かったら、働いててつまらないじゃない」
一雄さん「いやなら別に辞めれば良いのかもしれないけど、もし農業が好きで働いてるんだったら、働きに合った対価を経営者は出さなきゃいけない。だから、うちの従業員には公務員や世の中の会社員以上の収入がないと、持続可能な楽しい農業はできない。そのために経営者はなにをしたらいいのか? 従業員や自分の給料を上げるためになにをしたらいいのか? それを考えるのもGAPのひとつだと思います」
一雄さん「思えば、あのとき大学に合格してたら鶴岡協同ファームはなかった。楽しい環境で、明日も田んぼ行きたくなる会社。それも私の理解しているひとつのGAPです」
GAPに取り組むことによって「農業を楽しく」する。そうすれば、農業は持続可能になる。家族一丸となって収穫した、安心・安全で美味しい鶴岡協同ファームのお米は、下記リンクよりお申し込み頂けます。
鶴岡市ふるさと納税では、今後もGAP認証を取得した事業所の皆さんのお話を通して、返礼品の魅力を伝えていきます。
文・構成=齊藤 悠紀